10月7日、元楽天戦士の鉄平さんが二軍外野守備走塁コーチに就任することが発表されました。
鉄平さんといえば、2009年の楽天の2位躍進に大きく貢献した功労者です。
この年には首位打者も獲得し、一気に全国区になりました。
ファンとしても、かつて楽天で頑張ってくれた人がコーチになるのはうれしいことですよね。
今回は、鉄平さんのこれまでの活躍をふり返りたいと思います。
大分県津久見高校時代
鉄平選手は大分県出身です。
鉄平選手の高校時代の話は聞いたことがなかったので、少し意外でしたね。
大分県立津久見高校では、1年生からショートのレギュラーとして活躍しました。
俊足強肩の好打者ということから、九州のイチローと呼ばれていました。
甲子園の出場はありませんでしたが、高校通算で打率.551、32本塁打を記録しました。
高校時代の貴重な映像がありました。
高校時代からフォームは面影がありますね。
しかしこのホームランはすごいですね。
打ち終わった後のフォロースルーが非常にきれいです。
オリックス時代のイチロー選手にそっくりですね。
中日時代
九州のイチローと呼ばれた鉄平選手は、2000年のドラフト5位で中日ドラゴンズに入団しました。
2003年はウエスタン・リーグで遊撃手のレギュラーを獲得しましたが、守備面で伸び悩み、打撃を活かすためそのオフに外野手へコンバートされました。
2004年、プロ4年目でついに一軍初出場と初安打を記録しました。
この年は主に代走や外野の守備固めとして50試合に出場しました。
日本シリーズでも5試合に代走として出場しました。
また、この年のファーム日本選手権でサヨナラヒットを放ってチームをファーム日本一に導き、MVPを獲得しました。
しかし、当時の中日は戦力的に黄金期を迎えており、鉄平選手が1軍に入り込む隙はなかなかありませんでした。
2005年も、ウエスタン・リーグでは3位の打率.336、13盗塁の好成績を残しましたが、一軍では2試合の出場に終わりました。
そこで当時の落合監督の「ほかのチームだったらあるんじゃないか」という配慮により、鉄平選手はトレードされました。
そこから鉄平選手のキャリアは花開きます。
楽天時代
楽天に金銭トレードで移籍した鉄平選手は、2006年シーズンからレギュラーを獲得し、いきなり打率3割をマークしました。
交流戦で古巣の中日と対戦したときには、4安打を放ち大活躍しました。
試合後、落合監督から「お前を(トレードに)出した甲斐があった」と言われたそうです。
2007年、2008年は低迷しましたが、2009年に大ブレイクします。
打率.327、ホームラン12本、76打点をマークし、不動の3番打者になりました。
いずれもキャリアハイの成績です。
なかでも試合を決めたり、大きな影響を与える1発がすごかったですね。
あのときの楽天は“集中打”が特徴でしたが、それを象徴していたのが鉄平選手です。
大差で負けていても逆転勝ちする、ということが多々ありました。
2009年の映像がありました。
このように劇的な一打を放つことが多かったですね。
2010年は前半戦こそ不調にあえぎましたが、後半戦で盛り返し、2年連続の3割となる打率.318をマークしました。
映像もあります。
1:20と、3:10にそれぞれ打撃シーンがあります。
インコースのボールをうまく肘をたたんで打っていますよね。
これが鉄平選手の打撃の特徴のひとつですね。
2011年からは、飛ばないボールとされる統一球が導入された影響からか、極度の不振に陥りました。
打率3割はおろか、2011年~2013年は3年連続で規定打席にも達しませんでした。
2013年の優勝のときも鉄平選手はほぼ蚊帳の外だったので、優勝したのはうれしかったですが個人的には複雑でした。
そして2014年からオリックスに移籍しましたが、そこでも花をさかすことはできずに、2016年に引退となってしまいました。
引退後は様々な活動を展開
現役の晩年は悔しかっただろうと思いますが、引退後は様々な活動をされています。
楽天イーグルスのジュニアアカデミーコーチ、プロ野球解説者に加えて、「TFUクラブ」(東北福祉大学硬式野球部のOBを中心に結成された日本野球連盟所属のクラブチーム)の外野手としても活動しています。
また、音楽の道にも進んでおり、ギタリストとして2018年にCDデビューも果たしました。
元・楽天戦士の鉄平がCDデビュー ”ぼくらの観覧車”の内容は?
ギターは29歳のころに始めて、打撃不振に陥っていたときの良い気晴らしになっていたそうです。
ちょうど僕が試合を見に行ったときに、球場の外でライブをしていました。
普通に上手かったですね。
サイン付きCDの販売会もしていて、これは買うしかないと思い、衝動買いしてしまいました(笑)
気晴らしになるものがあるのは大事なことですね。
まとめ
そして今回、二軍外野守備走塁コーチを務めるということになりました。
今後の音楽活動はあまりしなくなるのかなと思うと少し残念ですが、功労者のコーチ復帰はうれしいことです。
特に僕の場合は、2007-2009年に楽天の応援に熱狂的だったので、その世代の選手が別の形でチームに加わるのはうれしいですね。
より愛着をもって楽天を応援できます。
いずれは1軍のコーチになれるように頑張ってほしいですね。