2018年、個人的に最も驚いたニュースは岩隈久志投手の巨人移籍です。

新しいファンの方はご存じない方もいるかもしれませんが、楽天の初代エースとして活躍したのが岩隈投手です。

岩隈投手がマリナーズからFAとなった当初は、移籍先として楽天が最有力とみられていました。

とこらがしばらくたっても吉報は入ってこず、雲行きが怪しくなってきました。

そして12月10日、巨人入りが発表されました。

この時は本当にショックでした。

しかし、岩隈投手が楽天の功労者であることは変わりないので、これからも岩隈投手を応援していきたいと思います。

今回は、岩隈投手の新天地での活躍を祈念して、岩隈投手の楽天時代の活躍を振りかえりたいと思います。

スポンサーリンク

岩隈投手の楽天での成績

まずは岩隈投手の成績です。

年度先発防御率完投完封無四球勝利敗戦投球回被安打被本塁打与四球与死球奪三振暴投失点自責点WHIP
'05274.99901915182.12181940612471131011.41
'0663.722001238.243412116018161.42
'07163.40000559095623284047341.31
'08281.87523214201.21613364159448420.98
'09243.2550113616917915436121362611.31
'10282.82412109201184113612153168631.09
'11172.4221067119106619590134321.05

岩隈投手は、2005年から2011年まで7年間楽天でプレーしました。

岩隈投手は球団創設時からのメンバーで、当時分配ドラフトでオリックスに指名されたのですが入団を拒否して楽天にきてくれました。

その事実だけでもファンとしては男気を感じます。

そして当時からエース投手だったのですが、岩隈投手のピークといえるのが2008年です。

この年は21勝4敗、防御率1.87というすさまじい成績を残して沢村賞に輝きました。

21勝は1985年の佐藤義則以来23年ぶりの快挙でした。

岩隈投手の成績をみてもらってもわかるように、キャリアとしては順風満帆ではありませんでした。

楽天入団前の近鉄時代からエースとして活躍してきましたが、楽天入団後3年目まではケガに苦しみました。

当時の野村監督からはガラスのエースと揶揄されました。

2005年頃からNPBが二段モーションの規制を厳しくしたことで、フォームの改変を余儀なくされたのも影響したと思います。

岩隈投手にとっては不遇な時期が続いたと思います。

しかし、2008年には新フォームがフィットし、一気に大エースへと変貌を遂げました。

苦難の時期を乗り越えての21勝だったので、喜びも特別なものだったと思います。

この年の好成績の結果、WBC日本代表にも選ばれました。

そこでも大活躍をみせました。

個人的には大会MVPでもおかしくなかったと思います。

2009年シーズンはWBCの疲労からくるコンディション不良で本調子ではありませんでしたが、13勝を挙げ、エースの役割を全うしました。

またこの年はチーム史上初のクライマックスシリーズ進出を果たした年で、大いに盛り上がりました。

2010年も勝星にこそ10勝と恵まれませんでしたが、201投球回を投げ、防御率2.82の好成績を残しました。

2011年はケガもあり、17試合の先発にとどまりました。

この年は田中将大投手が沢村賞を獲得する活躍をみせ、楽天のエースの交代となった年でした。

スポンサーリンク

岩隈投手の投球スタイル

岩隈投手の投球フォームは、近鉄時代と楽天時代では大きく異なります。

近鉄時代はいわゆる2段モーションで、右腕をダラリと垂らす独特のタメから投げ込む独特なフォームでした。

しかし二段モーションが禁止になり、楽天時代では新たなフォームを完成させました。

それがこちらの動画にあります。


こちらは2009年のものですが、2008年にこのフォームが完成されました。

以降、メジャーに移籍してからも基本的には変わっていません。

二段モーションに頼らずとも、勢いのある体重移動ができていますね。

この勢いのある体重移動が、岩隈投手が150km/h前後のストレートを投げられる要因の一つだと思います。

2008年に再ブレイクを果たしたのは、ケガからの復活も大きいですが、投球スタイルの変化も大きかったと思います。

それまではどちらかというとストレートの球威で押していくスタイルでした。

しかしこの年からは、とにかく球を低めに集めてゴロを打たせるということを徹底しました。

その結果、球数も少なくなり長い回を投げられるようになりました。

また、それまでは防御率は3点台だったのが、一気に1.87となり、球界屈指の安定感をもつようになりました。

この“安定感”こそが岩隈投手を象徴する言葉となっています。

その安定感はメジャーリーグに移籍してからも健在で、高く評価されていましたね。

1回あたりの球数の少なさも話題になりました。

エースの意地をみせた2009年

先ほど岩隈投手のピークは2008年と述べましたが、2009年もすごかったです。

成績は13勝6敗、防御率3.25と2008年に比べると落ちていますが、気迫が2009年はすごかったです。

開幕当初は「WBC燃えつき症候群」を心配されていて、実際コンディションが上がってきませんでした。

前半戦は球数もなかなか投げられずに早めに降板することも多かったです。

7月12日には1試合4ホームランを打たれてしまい、2008年シーズンの計3本を1試合で超えられてしまいました。

しかし7月28日の西武戦で1失点の完投勝利を挙げると、8月は3勝0敗と、文句のつけようのない結果でした。

内容も9回2失点、7回無失点、9回3失点10回2失点と、いずれもハイクオリティスタートを記録し、9回以上を3試合も投げました

9月も3勝を挙げ、9回2失点、8回3失点、6回5失点、8回2失点、6回5失点という内容でした。

いずれも多く球数を要しましたが、鬼気迫る表情で乗り切っていました。

終盤は完投を4つも記録し、まさにエースの意地を見せていましたね。

そしてクライマックスシリーズでもエースの投球をみせてくれました。

第1戦となるソフトバンク戦では4失点ながら9回完投勝利でした。

ファイナルステージの日本ハム戦でも負けてしまいましたが、9回3失点の完投を記録しました。

そしてファイナルステージの第4戦、もう後がない状態で8回のマウンドには岩隈投手が登板しました。

心身ともに満身創痍だったと思います。

それでも最後まであきらめずにストレートを強気に投げていきました。

しかし、無情にもホームランを打たれてしまい、これで完全に楽天の息の根は止められました。

最後は涙で終わった岩隈投手の2009年でしたが、ファンとしては素晴らしいものをみせてもらいました。

スポンサーリンク

当時日本ハムのダルビッシュ有投手のブログにも岩隈投手について書かれていました。

楽天最後のマウンドはエース岩隈さん。

8回2死1、2塁。

そして打者のスレッジにスリーランホームランを打たれ、試合は決まった。

正直、岩隈さんの名前がコールされた時、泣きそうになった。

体の状態を聞いていたし、知っていたから。

肩や肘、腰とか。

昨日、野村監督の胴上げの時に岩隈さんにお疲れ様って言いたくて近寄ったら泣いてた。

顔を見たら泣きそうやったからただ抱き合った。

そんでお疲れ様は言えなかった。

まだ終わった感じがしてなさそうやったし、

ナイスピッチしか言えんかったわ。

最後のエースの投球は感動しました。

楽天ファンだけでなく、敵チームのエースをも感動させた岩隈投手。

この年は岩隈投手の精神的な強さを垣間見たシーズンでした。

まとめ

以上、岩隈投手の功績をふり返ってきました。

いかに岩隈投手が楽天イーグルスに尽くしてくれたかがわかりますね。

それだけに、これだけの功労者を獲得できなかったのは痛恨の極みです。

何が何でも獲得してほしかったですね。

残念で仕方ありません。

ただ、冒頭でも述べたように、僕は岩隈投手を今後も応援していきます。

巨人戦で岩隈投手が投げる時は、楽天ではなく岩隈投手を応援します。

スポンサーリンク