3月19日、星野仙一監督のお別れの会が、東京港区のグランドプリンスホテル新高輪で行われました。

各界から約3000人もの人が訪れ、別れを惜しんだそうです。

この会で、楽天の三木谷会長が号泣しながら、
星野監督の背番号77を永久欠番にすることを明言しました。

監督の番号が永久欠番となるのは球界史上初めてのことのようです。

新年はじめに悲報のニュースをみたときには本当に衝撃で悲しかったですね。

体調不良などという話もでていなかったですし、まだ70歳だったので、
びっくりしました。

野球界はじめいろいろな方々が星野監督の死を悼んでいました。

それだけ人望が厚い人だったということが改めてわかりました。

今回は、星野監督の功績をふり返りたいと思います。

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就任1年目で東日本大震災

日本一という輝かしい成績を残した星野監督ですが、
就任当初は、東日本大震災が起きてしまったことで、大きな壁にぶち当たってしまいました。

このときは松井稼頭央選手と岩村明憲選手を獲得して戦力upもしました。

さあ行くぞ!という矢先に、震災が起こってしまいました。

野球どころではない状況の中でも野球をしなくてはいけなくて、本当に苦労したと思います。

最後までAクラス争いをするなど奮闘しましたが、5位という結果に終わりました。
新戦力のメジャーリーガーコンビ、特に岩村選手の不振が痛かったですね。

岩隈投手、永井投手のケガもあり、先発3本柱のうち田中将大投手だけが健在でした。

その田中投手が19勝5敗、防御率1.27、241奪三振の凄まじい成績で、沢村賞を獲得したことがせめてもの救いでした。

翌年の2012年もあと一歩のところでAクラスを逃しました。
この年も岩隈投手がメジャーリーグに行ったこともあり、厳しい戦いだったと思います。

しかし、67勝67敗の勝率5割と、着実に成績を伸ばしていきました。

奇跡の日本一2013年

過去2シーズンはいずれもBクラスに終わったイーグルスですが、
2013年、アンドリュー・ジョーンズとケーシー・マギーを獲得し、戦力もだいぶ整いました。

打撃ではAJ、マギーを筆頭に、
銀次、桝田ら星野チルドレンの活躍も大きかったと思います。

守備では藤田選手が光っていました。
守備範囲がとても広く、かつ堅実。
キャッチャーのサインをもとに守備位置を細かく変えるというクレバーさも持ち合わせていました。

同じセカンドの高須選手ファンの僕としては複雑な思いもあったのですが、
この年の藤田選手は楽天史上最高の二塁手です!

言うまでもなく絶対エース・田中将大の破竹のピッチングはすごかったですが、
あそこまで連勝記録が続いたのは、打線と守備の援護も不可欠だったと思います。

前半戦で首位に立つと、その後は一度も首位を明け渡さず、優勝しました。

日本シリーズのときも、最終戦までもつれながら、見事勝利しました。

最終戦の9回表、球場にFUNKY MONKEY BABYSの「あとひとつ」が流れたときは感動しました。

まさにこのときのためにあったかのような曲ですね。

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観る者の心を動かすキャスティング

このときの優勝は、本当にドラマチックでした。
画になる展開にさせたのは、まさに星野監督のキャスティングの力だとと思います。

大黒柱の田中将大投手をリーグ優勝決定戦で抑えに使い、胴上げ投手にさせました。

楽天初優勝の場面に最もふさわしい選手を選んだことで、
将来長きにわたって語り継がれる名シーンを演出しました。

それだけではなく、日本シリーズ最終戦でも、
前日160球投げた田中投手を抑えに使って、プロ野球史上最高の場面の一つを作り上げました。

この2つのシーンは永遠に語り継がれてほしいです。

インタビューから伝わる情の厚さ

youtubeで星野監督の優勝インタビュー動画があったので、久しぶりに聞いてみたところ、
熱さと優しさが伝わってきました。

被災者を少しでも慰め、励ましてあげたいという思いと、
自分の罵倒に耐え、たくましくなった選手を立てる気持ちが伝わりました。

時折ユーモアで観客の笑いを誘っていたところも良かったです。

話の内容といい話し方といい、本当にこの人には人々を引き付ける力があると思いました。

岸投手、今江選手など、FA選手を獲得できたのも、星野監督の力が大きかったと思います。

まとめ

僕は星野監督は、戦略とか采配うんぬんよりも、人を動かす力があるという点が素晴らしいと思います。

そういう人間味あふれる人だったからこそ、たくさんの人々に慕われ続けたのだと思いました。

星野監督、感動をありがとうございました。

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