6月17日、梨田監督からバトンを渡された平石洋介監督代行は、初陣を見事勝利で飾りました!

前日までの2試合で合計1点しか取れなかった打線が8得点と爆発しました。

監督途中交代という、いわば最悪の出来事を迎えてしまいましたが、逆にそれで肩の荷が下りたのでしょうか。

とにかく点を取ってくれて良かったです。

藤田選手、銀次選手、アマダー選手のホームランが大きかったです。

今後もこの調子で・・・というわけにはいかないでしょうが、何とかひとつでも多く勝ってほしいですね!

さて、初陣となった平石監督代行ですが、早くもネット上ではそのイケメンぶりが紹介されています。

確かに楽天イーグルス史上1,2を争うイケメンかもしれませんが、重要なのはそこではありません。

彼は、初めての楽天イーグルス出身の監督となります!

加えて楽天の生え抜き選手としても初の監督となります。

この二つの事実は、楽天イーグルスにとって大きな一歩だと思います。

ただ、選手としては芽がでずに引退してしまいました。

そこで今回は、平石監督代行のこれまでの歩みについて記録していこうと思います。

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平石監督代行のプロ入りまで

1980年生まれの松坂世代

平石監督代行は、1980年生まれの大分県杵築市出身です。

俗にいう“松坂世代”ですね。

松坂大輔投手を中心に、杉内俊哉投手、和田毅投手、藤川球児投手といった大投手が集まっている世代です。

今はもう現役の選手は数少なくなってしまいましたが、彼らが全盛期の頃は本当にすごかったですね。

野手では村田修一選手が代表的なバッターですね。

楽天では渡辺直人選手、久保裕也投手が現役としてがんばっています。

平石監督代行は、中学時代に大分県から大阪府へ移住し、ボーイズリーグの八尾フレンドに所属しました。

チームメイトには現・日本テレビアナウンサーの上重聡さんがいます。

このときに関西選抜として世界大会で優勝を果たしました。

そして上重さんとともに、名門・PL学園へと進学しました。

PL学園時代、松坂を擁する横浜高校と死闘

さて、この世代の目玉の出来事といえば、やはり1998年夏の甲子園のPL学園vs横浜高校でしょう!

この名勝負は先日NHKでも特番が組まれていましたが、延長17回という、今じゃありえない死闘でした。

松坂投手が球数240球以上投げての完投という、凄まじい試合でした。

そしてそのとき、平石選手もPL学園の主将として戦いました。

しかし、1年生のときから肩の故障に悩まされていて、選手としては目立ちませんでした。

キャッチボールもできない時期もあったそうです。

なので本人は、悔しい思いが強いと言っていました。

それでも、主将としてチームを支え、名勝負をしたメンバーの一人となりました。

大学、社会人時代に頭角を表す

同志社大学に進学後も肩の状態はよくなく、大学1年のときにリハビリ入院をしました。

そして地道にリハビリを続け、4年時には大学日本代表に選ばれるまでになりました。

結果的に、関西学生リーグではベストナインに4回選出されるなど活躍しました。

大学卒業後はトヨタ自動車に進み、通算打率3割3分以上を記録し、大活躍しました。

ホームランも10本と、長打力もアップしました。

そして2004年のドラフト会議で、楽天イーグルスから7巡目に指名され、プロ入りしました。

つまり、楽天イーグルス誕生と同時にプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせたことになります。

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プロ入り後

現役選手としてのキャリアは短かった

プロ入りを果たした平石選手ですが、プロでは目立った活躍ができませんでした。

僕は2007年から楽天を見てきたのですが、正直に言って平石選手が活躍しているなと思ったのは2009年ぐらいです。

そのときは、外野のレギュラークラスとして結構試合にも出て打つときは打っていたと思います。

それ以降は、申し訳ないですがほとんど印象に残っていないです。

そして2011年シーズンの終了後、戦力外通告を受けました。

トライアウトを受けようとしていましたが、球団からコーチ就任を打診されました。

このときの決断については、NHKの番組でも言っていましたが、本人の中で結構葛藤があったようですね。

まだ現役としてやりたい気持ちもある中でのコーチ転身で、後悔している部分もあるようです。

それでも、楽天初の生え抜きコーチという、まだ誰もやったことがないことをやっているという充実感もあるようです。

コーチ就任後は、異例の早さで昇進

現役生活にピリオドを打った後、平石氏はコーチとしてのキャリアをスタートさせました。

2011年11月28日に楽天の育成コーチ(野手担当)に就任し、2012年2月13日から二軍外野守備走塁コーチ、シーズン終了後に一軍打撃コーチ補佐へと、異例の早さで出世を果たします。

さらに2014年には、34歳にして一軍打撃コーチに就任します。

そして2015年には、35歳の若さで2軍監督となります。

これは、球界全体を見渡しても際立って若い監督でした。

そして2018年は、1軍ヘッドコーチからの監督代行と、プロ野球界一の青年監督となりました。

現役時代とは打って変わって、指導者としては華々しい出世をしています。

こうして、楽天史上初めての生え抜きの監督が誕生しました。

まとめ

平石監督代行の就任は、楽天イーグルスとしても大きな一歩です。

球団の歴史を肌で感じてきたので、楽天イーグルスのことを一番良く知る監督と言えます。

ファンにとっても、チームにゆかりのある人材が監督になるのは喜ばしいことです。

なので、監督代行で終わることなく、来年、再来年も監督としてチームを指揮してほしいですね。

そのために、まずは結果を出してほしいですね。

勝率5割に復帰させてほしいですね。

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